society

ちいさな会社の殺し方

企業はどのようにして崩壊し得るのか。その答えを見つけるためにはまず企業というものがどのように成り立っているかを知る必要がある。

僕の考えはこうだ。

何かを提供し、その対価を得る。あるいは対価を支払い、何かを得る。その繰り返しと積み重ねで経済活動は成り立っている。これを「取引」と呼ぶ。

「取引」のオリジンは信頼に基づく約束で、信頼に形を持たせ、現実世界の文脈下において具体的な条件を設定するために「契約」を交わす。

企業は信頼、あるいは明記された信頼の形である「契約」に基づいて取引を繰り返す。

そして、企業とは取引を繰り返すことで価値を蓄積・分配するシステムであると見なす事が出来る。

※「世の中に価値を提供する」という理念を持つ企業があったとしても、それは己の中に価値を蓄積し、その残りカスをいかに効率的に排出するかという話になるので、企業にフォーカスを当てると結局それは価値蓄積・分配システムであることに変わりない。異論は募集する。

システムを動かすためにはエネルギーが必要で、脳味噌がGlucoseをエネルギーとするように会社にとって唯一の現実的なエネルギー源は現金である。資産でも売上でもない(当たり前の話)。

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ちいさな会社の殺し方

さてようやく本題に入る。上記のような考えに基づけば、会社の息の根を止めるために必要なのは、

  • キャッシュフローを止める
  • 社内外の信頼を断ち切る

という2点。前者は即効性があり確実で、後者は救いがなく致命的だ。

これらの論点に着目する事によって、小さな会社にとってリスクとなる行動とは何か、組織とはどうあるべきか、組織と個人の境目はどこにあるのか...。そのような疑問に対していくつかの示唆を与えられれば良いと思う。

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地震後の各企業の支援内容まとめ(自由に編集・追記して下さい)

昨日の記事で

こういう時、即興の決断やふとした感情が漏れだすTwitterを介して、企業、あるいは個人の本来の姿が垣間見えるようだ。

と書いたように、非日常の中で取る行動から、その組織・人間の本質が垣間見えると僕は考えている。各所がどのように反応したのか、興味がある。

主として自分のために情報を乱雑ではあるがGoogle Spreadsheetにまとめている。誰でも自由に編集可能なので、追加情報があれば追記してくれてかまいません。

東北地方太平洋沖地震 - 各企業支援まとめ

あまり期待してなかったけど、いつの間にかぽつぽつと情報を集めてくれている人がいるみたいだ。

↓以下、iframeで埋め込みも入れてみた(ようやくライブドアブログでiframeを埋め込む方法が分かって嬉しい)。

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嘘を嘘と見抜くためのTwitterリテラシー入門 - 地震のデマと情報錯綜を受けて

TL(タイムライン)を追っていると、2011年3月11日午後に発生した三陸沖地震の話題しか目にしない。幸いにして僕とその周囲に被害は無かったものの、ほんとうに異常事態が起こっているのだと痛感する。

地震発生から1日半が経過し、時間の経過とともにだんだんと被害の甚大さが明らかになって来た。僕が小学校3,4年の時に起こった阪神淡路大震災を思い出す。毎日の新聞1面には被害者の数が白抜きで印刷され、その数字が日ごとに増えて行くのが、子供心に恐ろしかった。

その阪神淡路のマグニチュードはM7.3であり、今回が観測史上最大とされるM8.8とのこと(参考: マグニチュード - Wikipedia

そんな中、最も速く、確実に、正確な情報が得られたのはTwitterだった。 しかし、怪しい情報やデマ、嘘情報が流れているのも事実。

usouso

そこで、正確な情報とそれ以外を見分ける(僕なりの)方法を書いてみる。僕のネット上の友人達には当然と言えるものだと思うが、最近のTwitter一般化に伴った、それほどネット情報の分別に慣れていない人にとっては、多少なりとも役に立つのではないかと思って書く。

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で、結局Facebook映画『ソーシャル・ネットワーク』は観るべきなの?

観なくてもOK。個人的には。

ソーシャル・ネットワーク - オフィシャルサイト

マーク・ザッカーバーグは結果としてみれば起業家で、成功者で、天才で、語るに足る波乱万丈の人生を送ってきたし、今も送っている。ところが等身大の彼自身は、普通の若者である。そのギャップを楽しめるし、個人的には同世代なので色々と身につまされる映画ではある。

//ところでわたくし、1月21日を以て25歳となりました。

以下、感想のようなレビューのような雑感のようななにものかを書く。

ネタバレなので観るつもりだけど観てない人は注意。

//観るつもりだけど観てない人を対象から外したうえで「観なくてもいいよ」と語るとはこれいかに。

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どうも僕はスラム街に住んでいたらしい


帰国して以来妙な疑惑がつきまとっている。どうも僕は中国でスラム街に住んでいたというのだ。


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//↑僕の滞在したマンション...ではなく、その向かい側にある住居。続きを読む

高級中華は世界中で食えるが激ウマ孜然羊肉串は中国限定っつー話

先週末、中国より帰国した。

急遽決まった訪中であり、VISAの関係で2週間以上滞在出来ないため2週間+2週間、途中に土日だけ帰国して月曜には再度機上の人という結構なハードスケジュールで出張してきた。

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//↑弊社中国オフィスはこのビルの29F



さて僕にとって貴重なものとなったこの経験は、他の一連の経験と同じようにどかっとした"塊"で存在していて、さてそれをどう切るか、どう調理して僕の周りに共有しようか、あるいはこうした公の場でいかに魅せようかというところが問題なんだけども、経験を塊のまま置いておくと忘れてしまうのが世の常でもあり、多忙な毎日の中で厨房に立ってじっくり食材を調理する至福を味わえない生活を、その先に繋がると信じるからこそ続けられるわけでもあり。
記憶がアレな僕は忘却の傾向が顕著で、書き留めておかないと撮り溜めておかないとすべてが流れて行って死ぬ。

何から話そう僕の好きなもの僕パンクロックじゃなくて料理が好きなので仕事以外で印象に残ったものの筆頭、中国の料理について書こう。


まずは。中国本土で食べた中華料理は3パターンに分けられるのではないかと思った。ソースは勘。
地方料理とかそーゆー分け方じゃなくて、以下のようなざっくり分類である。



(1). ごちそうとしての高級かつ美麗な中華料理。

(2). ファーストフード的(外資含む)な、地元民の日常食。

(3). 汚くて小さい、でも安くて激ウマの店。
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突然ですが一ヶ月ほど中国に滞在します

時間もないので要件だけ。

仕事の関係で、それも非常に抜き差しならない緊急事態にて、中国現地の開発部隊と一緒に一ヶ月ほど仕事することとなりました。


たまたま別案件で現地に先に乗り込んでいる上司と特務員の二人と合流するものの、二週目以降は単独となる。

とはいえ、ビザの関係上連続して滞在することはできないため、
月末に一端帰国しますが。


現地での役割は、開発進捗の管理および日本とのブリッジ、加えて成果物のチェックと品質保証(…と言っても経験はないのでお客様の要求するフォーマットとレベル感に合わせて手探りとなるが。)



今まで僕は向こうのエンジニアとチャットやメールでコミュニケーションを取り、
案件の内容はExcelで仕様書とも言えない落書きを送って共有していた。

今回現地に飛ばざるを得なくなった一因としては、上記のコミュニケーションでは不十分であり、かつ日本側と中国側に意識の乖離があったことが、致命的な問題に発展したことがある。


名誉はないので汚名の返上、背水の陣かつ分水嶺だと思っている。


問題意識はいろいろとあり、悪巧みもなくはないなだが、さて身を持っていかないとどうなるかわからん状況ではある。
まぁ、いままでもそうやって飛び込むことでなんとかしてきた。なんとかならなかったこともあるが。



と言うわけで僕の生活は素晴らしく破滅的になってきているのだが、
いまの状況ではこの程度のアウトプットが精一杯だ。


詳細と報告などなどは、後日。更新できたら向こうから更新します。では。

僕がはてなからライブドアに移行した理由(ただし奨学金それ自体を除く)


移行後初の記事となるが、だからといって何が変わるわけでもない。今のところは。

本日の議題は表題の通り。ブログ奨学金はただのキッカケにすぎず、もやもやしたものを払拭して、純粋に書くことを楽しむフェイズにROLLBACKし、かつ将来へ繋がる方向性を探ろう(できるかどうかは別問題で)と思ったわけでして、そのへんを相も変わらず長ったらしく書く。


ここ最近、はてなブログの更新頻度も減っていたのだが、純粋に仕事が大変と言う身も蓋もない理由に加え、日々の生活において


ブログで自分の思考を広く公開することによるリターンよりも、

リアルワールドで努力するリターンの方が大きい



という図式が成り立っていた。ネットが本体の存在としてあるまじきことに、リアルがおもしろくなってしまったわけだ。


ぼんやりした考えを長たらしい戯言で書き散らしたとして、
他者の視点の獲得や細かな気付きはあるにしても、まぁ僕自身の核となる考えはしばらく変わらないだろう、という予測があった。本当にパラダイムを変えてくれるのは経験の蓄積だけだろうとも思った。

だから今は積極的に「土台はとりあえず仮定して、その上で試行錯誤と学習と修行を行う」べき段階であって、のんべんだらりとコアを探している場合ではないのだ。
新卒一年目、学ぶことはあまりにも多すぎるし、零細企業であるが故に必要とされるカバー範囲も"僕の実力に適切"なものではない。ぶっちゃけ言うと無理やってる。無理を承知で、どこまで「ノーマル」に近づけるか、どこまで食い下がれるか、どこまで利用し尽くせるか。
設立4年になる弊社もそろそろ変革の時期であり、良くも悪くもボラティリティが高くなっている。そーゆーステージの会社で働くということは、気苦労も物理的仕事量も多いものの、実におもしろい。働くことがこんなにおもしろいものだとは若干想定外だったが、それはまた別の話。


もうひとつ。

「自分の書きたい記事、またはいい出来だと思う記事」と

「多くはてブされる記事」の傾向が乖離


していることはだいぶ前からわかっていたけど、
はてなでブログを書いていると、機能として密接に連携しているが故に、はてなブックマークのことを強く意識しすぎてしまう

意識しすぎた結果、評判を得たときの空虚な満足感か、もしくは改心の記事がさほど評価されなかったときのもやもや感が積み重なるようになった。これはあまり楽しい経験とは言えない。

まぁわざわざライブドアブログにスターとB!マークを付けてたり、はてなブログのホッテントリを貼り付けているあたり、抜け切れてないんだが。


旧ブログ『ミームの死骸を待ちながら』はあまりにも長大になりすぎたし、僕自身にとって、あまりにも大切に思える蓄積が増えすぎた。

溜まりすぎて動けなくなったときは、リセットボタンを押す。そーゆースタイルで今まで来たし、ここでも使ってみたという次第。うまくいったら儲けもん、うまくいかなきゃそれはそれ。

livedoorが用意してくれる(らしい)アクセスアップのためのセミナー、いわばコンサルティング、もしくはブロガー道場、だろうか。そいつも気になるところ。好き勝手書き散らしたブログというものに限界があり、livedoorがブログの書き手の"育成"(何しろ"奨学金"であるわけだから)を何らかの形で体系化しようと試みているのならば、実験台になろうかという気分もあった。たぶん僕は喜んで仮面ライダーにされるタイプだ。



最後に。

「好き勝手書く場所」と、

「読み手のために書く場所」を分けてみようと思った。



好きなように、自我を削り取ってすりつぶしてなすりつけるスタイルの文章は、時として誰かの琴線に響くことがあるが、その生身感故に限界が存在する。
一方「読まれる書き手」を目指すならば、ある程度自分自身を"殺す"必要がある。

そこで心機一転、「読み手のための文章」をライブドアブログに書き、「好き勝手に書く場所」を別途用意する(WordPressでちんたら作ってる)ことで、僕なりの文章の書き方や思考スタイルと、より他人に好まれるアウトプットの妥協点を探る試み。こいつは僕自身の将来のためにもなろう。



さて僕の話はここまでとして、先に移転しているブログ奨学生「同期」の記事を眺めてみる。まずは

A Successful FailureのLM-7氏。だよねーと頷いたのは以下の部分。


本blogはPageRankが4となっており、Googleの検索結果においても比較的上位にランクされていた。そのため、全く更新のない日でもコンスタントに1,500~2,000程度のPVがあったわけだが、それが全く無くなる。全くの0からのスタートとなるわけだ。

ちなみに奨学金は月払となり、筆者の場合、第2種なので月々5万円の受給となるわけだが、1ヶ月のPVが10,000を超えなければ支給されない。0からのスタートで10,000PVはそれなりに高いハードルで、拙blogのように月2,3回の更新ではちょっと無理がある。ゆくゆくは奨学金に応募したいと考えている人がいれば、注意すべき点だろう。

また、被はてブ数の方も15,000を超え、TopHatenarでも全体で189位と、密かなモチベーションとなっていたわけだが、これもまた0からのスタートとなる。これも今まで積み上げてきたものを放り出さないといけないわけで、残念に思う。




コンスタントPV、TopHatenarランクなどの状況は違えど、まったくもって同意。まぁ、僕はわりかし積み上げた物を破壊することにカタルシスを感じるタイプではあるのだが。


続いて二十歳街道まっしぐらのカメきち氏曰く、


来年から社会人になります。
ブラック企業に務めることになっているので、プライベートな時間がごくごくわずかな生活が待ち受けています。

そんな生活の中、移転作業やら更新スタイル変えたりしている余裕はあるのかな?と考えました。
やっぱり学生のうちにそういったことは済ませておかないと、しんどくなるなーと思ったので、今が移転のベストな時期というわけです。






ひじょーに正しい判断です。いやマジで。「移転作業やら更新スタイル変えたりしている」余裕?ないっす。デザインとかフォントサイズが調整できない!長文派なのに長文読み辛い!誰か助けて!


その他僕の「同期」ブログはこちら


若手が多いのかな?同期飲みとかやりたいな。連絡先リストアップして勝手に企画して勝手に誘っちゃろかな。


今日のところは、いじょ。

引き続き模索中のミームブログをよろしくお願いします。

語り得る時に語るのではなく、語られるべき時に語るべきだ。




語るべきではないときに語ってしまうことは大いなる機会の損失であり、致命的な失敗でもある。


既に語られたストーリーは改修することはできない。どんな手を尽くそうと、いかに知恵を絞ろうと、いかなる幸運に恵まれようとも、投げ出したストーリーは決して己の内に戻り来ることはない。あなたのストーリーは、もはやあらゆる意味で失われてしまったのだ。




ストーリーを語る能力は人間固有のものであり、かつすべての人間に備わっているとは限らない貴重な才能でもある。それが故に才能はそれ自身を拒絶し、ストーリーを語ることのできる人間は、僕の知る限り100%近い確率で潰し合う。


同じ時間同じ場所、二つ以上のストーリーが存在する場合、当然の帰結としてストーリーはぶつかり合う。ストーリーは傷つき、失われる。


この悲劇が起こるのは、人間の作り出すストーリーというものは本質的に断片として存在することができないからであって、いかに断片的に語られたかのように見えるストーリーであっても必ずそれ自身完結した世界を有している。世界が二つあればそこに矛盾が生じるのは自明の理だ。


才能は世界を生み、故に才能は拒絶する。


この事実は人間が偏在する現代に至るまで、揺るぎなくそこに有る。




したがって、ストーリーは語り得る時に語るのではなく、語られるべき時に語るべきだ。




基本的に人間の想像能力は無限であり、いかなるストーリーを想像することもできる。ただし創造能力を遺憾なく発揮するはずの自意識には二重三重の悪意を持った鍵がかけられ、錠前は錆び付いている。


無限の進化は死それ自体と何も変わるところがない。死を先のないことと見るならば、あることが定められた"先"は"死"と何も違わない。




本当に正しいと信じてなどいないもののために何かを生み出さなければならない屈辱。先に何かあると心から思ってなどいないくせに、自分を欺かなければ倒れてしまうが故に防衛本能として入念に隠し通された憤り。


抑圧された自己はいつか必ず不整合を起こし、そして欠けた自己自身を取り戻そうとする。ひとの心はバランスを取るようにできている。






誰か人様のフィルターにひっかかって、カスれて薄くなったやつを拾うことしかできなくて、それでも拾えるだけマシだなんて思って拾って食らっていたりすると、そのうち「まぁ悪くないんじゃね」ということになって、イングソックの省庁食堂よろしくホンモノの味を忘れ去ってしまう。




ホンモノの味を忘れたフィルターは認識にへばりつき、時には誰か他人のフィルターをも汚染する。媒体の影響力が強ければ強いほどタチが悪い。


フィルターを通されたファクトは、純粋なファクトとしての扱いを受けることができない。ところで純粋なファクトなるものは本当に存在するのだろうか?人間の認識を経由することなく存在が保証されるイデア的存在を、この21世紀に心の底から信じられるとでも?


ちなみに人間は基本的にその生物的存在として何も変化していないし、だからこそ哲学者という存在はアリストテレスから2千3百年経過した今も無くなりはしない。なお一般に「哲学者」と呼ばれる者は「1. 哲学を研究する学者」と「2. 哲学する者」の二種類に分けられるが、ここで言う哲学者とは後者の意味に限られる。




フィルターに嫌気が差したら、ただ何が出てくるのかを楽しみにして、すべて投げ出してみるのも良い。投げ出すことは放棄することに同義であるとは言えない。正当に投げ出したものもあれば、投げ出すことによって前に進むものもある。正しさを規定するのは愚者の所行である。




ものの見方の方向性が固まってしまうととてもつまらないことになる。




つまらないという感情は心の生み出した警報装置だ。そういった場合には、おまえらつまんねぇよ、とただ一言投げてやりさえすればいいわけで。実は他に何も必要ない、何も欲していないことがほとんどだ。戯言は防御壁で、暴言はオブラートで、諦念はすり替えで、美辞麗句は偽物だ。


つまんないという保証・同意、何よりつまらないという感情は本当に「存在する」という確信を持てないがために、悲劇へと埋もれ失われゆく才能があまりにも在りすぎている。




橘玲氏はかれの著作の中で、人と人ならざる者を隔てる境界は「ゴミを喰らうか否か」であると語った。文化的存在としての最後の自尊心。社会的生物としての最終防衛ライン。僕らは、正確に言うと僕らの大多数は、ひょっとするとすでに山盛りのゴミの中に手を突っ込んで、少し蕩けた肉の切れ端を口に運んでいる。




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エンジニアが一緒に働きたい人間ってどんなんだ?





黙れ小僧!お前にあの娘の不幸が癒せるのか。スペシャリストにもなれず、マネージャーにもなりきれぬ、哀れで醜い可愛いわが娘だ。





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(Mさん、山犬、森林在住)






最近、表題のようなことをよく考えている。エンジニアが一緒に働きたい、と思える非エンジニアは、どんなタイプなんだろうね。まぁエンジニアの細かい定義は置いておくとして。




数年前からわかっていたけど、僕はエンジニア向きじゃない




もちろん、僕に出来ないことをやってのけるエンジニアはすげーと思うし、尊敬もする。友人にもエンジニアは多いし、はてな界隈で話題のネタを追っていたらイヤでも眼に入る*1


それでも、僕は彼らと同じフィールドには立てないことが、どうしようもなく自覚できる。どうやら僕自身にエンジニアの適性がないようだし、今までの積み重ねも違う。のめり込めない。基礎の基礎からしっかり学んでいる人に、追いつける気がしない。


追いつくだけの学習コストを払うくらいなら、別のことに時間を投資したいと考える。そう考える僕は、要は思考の有り様からして、向いていないんだろう。




そういう訳で、僕はエンジニアにはなりきれない。




ところが、僕自身がエンジニアになれないとしても、






  • 「仕事の範囲を広げ、クオリティを高めるため」

  • 「僕自身のやりたいことをやるため」





に、エンジニア的能力*2が必要である。(業界要因もあるのだろうが)仕事をしていく上で、ああ、これはエンジニア的能力があるとずいぶん可能性が広がるな、という場面に日々遭遇する。


そのエンジニア的能力を自分自身の中に蓄えてもいいが、前述の通り、僕が将来蓄積できるであろう(or, 現在できている)能力は、他に比肩しうるレベルでは決してない。哀しいことに。






そう考えた末に「エンジニアが一緒に働きたい人間」になりたい、という志向に辿り着いた。現在の中長期的な目標と見なしても良いかもしれない。


※正確に僕の考えを表すなら「(エンジニアに限らず研究者なども含めた)特定の分野の"スペシャリスト"が一緒に働きたい人間」、となるのだけど。






ところがその方法がよくわからない。さてどうしたものだろう、と30秒で考えて箇条書きしてみると、こんな感じになった。






  1. 『疎通』

    • 技術の言葉が通じること。技術を理解する姿勢を持っていること。知ったかぶりをしないこと。



  2. 『補完』

    • エンジニアには出来ない部分をフォローしてくれること。役割分担をわかっていること。



  3. 『尊重』

    • 使う側使われる側という意識ではなく、対等なパートナーとして付き合えること。







この3点を意識していることは重要だとは思うけど、抽象論しか出てこない。だめだ。というわけで悩んでいる。




リチャード・ドーキンスは『延長された表現型―自然淘汰の単位としての遺伝子』の中で、遺伝子の表現型効果は生物個体の枠に留まらず、他の個体まで"延長されて"いると論じた(記憶ベースの超要約)。


これと同様に、人間個人という枠を越え、自分の中にある才能であれ、他人の中にある才能であれ、等しく利用可能になれば良いと思う*3


同様に、僕は僕自身の中にある才能(そんなもんがあればの話だが)を広く利用可能にしたいとも思う。


そうなれば、個人のできることはもっと広がると思うのだが、、どうだろう。




まあ、これまた理想論だ。そのための具体的論は、僕が、エンジニアが一緒に働きたいと思える人間になれた後に、ゆっくり考えていくとしよう。






そもそも今回の記事のきっかけになったのは、




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を読んだことだった。


会社で『Webを支える技術』を読んでいたらid:rindai87id:rindai87に「たぶん今読むなら続編の『24時間365日 サーバ/インフラを支える技術』とか『Web開発者のための 大規模サービス技術入門』の方が面白いぞ。ちゃんとしたWebサービスの運用方法がわかる」と言われて買ってみたものだ。なるほど、確かにこちらの方が面白い。今やってる仕事がWeb屋もどきだからだろう。




特に『Web開発者のための 大規模サービス技術入門』の方は、はてなインターンで行われた講義を元に書かれた本であるらしく、それを読んだときに、そうか、id:syou6162id:syou6162id:yaottiid:yaottiid:suztomoid:suztomoはこんな面白く・ハイレベルで・本質的なことをやってたのか。これはもう経験の濃度が違うわ。


と思ったことが、冒頭の疑問に繋がったのであった。




関連?






*1:別にイヤじゃない、むしろ好きだけど


*2:才能+努力の蓄積


*3:同様じゃねーよというツッコミは置いておく




仕事上の達成感を得る至上の妙薬、自由意志。




弊社では四半期に一度、MBO (Management Buyout...ではなくManagement by Objective) の名の下に、上司との面談及び業務上の目標策定を行う機会が設けられる。いつのまにやら入社して3ヶ月が経過し(もう3ヶ月かよ!)(こんだけ濃くてまだ3ヶ月かよ!)、第二回目の面談が行われた。


そこで僕の訴えた問題(?)というか最近の懸念事項は





「やる気をもてあます!(意訳)」





というものであった(これはひどい)。


...有り体にいれば、張り合いがなかった。やる気はあるのだけど、それを振り向ける先を一時的に見失っていた(現在助走中のプロジェクトが本格化すると気持ちよく炎上できて氏ねそうな気配なんだけど、インターバル期間のようなところにいる)。前回の「壁」 はとりあえず乗り越え、Mezzanine(中二階)(中二病ではない)のような部分にいるのかもしれない。...という意図。




不足で満たされているという事実は頭では認識していても、密度の濃い状態に慣れた身体と心は、さらなる充実を渇望する。


欠乏を感じた時には二つの道がある。






  • 密度が薄まった仕事の代わりに、労力を別のものごとに振り向ける

  • 仕事範囲を拡張し、薄まった空間に新たな仕事を詰め込む





僕が選択したのは後者であった。真空を嫌うように仕事を探した。


わずか数ヶ月の会社働き経験から、僕は「責任」を持たないとロクに仕事しねぇことが明らかとなったので、できるだけ自分に責任が降りかかる形で仕事を引き受けるように振る舞った。


目前の選択肢に真先に飛びついて、あるいは関係のないプロジェクトに自分から志願して、また、「やる気をもてあまして」いるという、色々と甘い僕の訴えに応える様なタイミングで、噛み応えのある社内PJを上司から与えられ、僕が手伝うことと相成った(ありがとうございます)。




そして僕の手の中にはおもしろい仕事のタネがいくつか乗っかっている状態となり、斯くして「やる気をもてあます」状態は、わずか1,2週間の悩みとして終焉を迎えることとなった。


あとは、実践だ。これを僕はどう料理していくことになるのか、結構、楽しみにしている。


※ただし実践に伴う「性格上の不都合というかある種の不得手」も、実は今の時点で見えている。脅威が実現してはいないものの、そのうち実体化するであろうことが予測される。僕の次なる壁となるか、もしくは回避可能なウィークポイントという立ち位置に落ち着くのかは分からないが。






どんな仕事でもおもしろみを見いだせる!...とは言わないが(言わないのかよ)、おそらく僕が集めたプチ・プロジェクト*1たちから学べるであろうスキル/知識は、僕のこの先に繋がるであろうことが予測できる。先に繋がるという価値観は僕にとってホントウに意味のあるものだ。


もちろん、僕の関わり方次第、真剣度次第ではあるけど。




※既に、"新サーバーへのLinuxインストール及びセットアップ、ネットワークの設定"という仕事が (だいたい) 片付いた。「ネットワークは要するに決まり事とテキストファイルのコラボレーションであり、大したこと無いもんだ」と気付いた*2ことも収穫だし、OSガンガン入れたり消したりソフトウェアRAID設定したり、というあたりの実地経験がちょっと積めたことも大きい。実は"仮想化"の設定をもう少し突っ込んで調べたかった*3んだけど、流石に横道に逸れすぎだし、ということでここは"おあずけ"にしている*4




先述のMBOにおいてもうひとつ、「張り合い」を得るために、日々の仕事から小さな達成感を見つけ出そう、という課題も持ち上がっていた。


そこで僕は自分自身の仕事ぶりとそれに対する心の反応("張り合い"とは結局のところ精神状態だ)をよく観察してみたところ、ひとつの要素が浮かび上がった。僕が「張り合いがある」と感じ、達成感を得ることが出来るのは次の様な場面である。





僕は、あまりプロジェクトが終了したその瞬間には達成感を感じない(開発プロジェクトの最後ってイマイチ締まらないなぁ、という印象を持っている)。


それよりもむしろ、お客さんもしくは協力会社 -- つまり元来「仲間という前提」のない人 -- と、何かの面で(それは仕事上の話でもいいし、ちょっと踏み込んだ個人的な話でもいい)「同じ方向を向いている」と確信出来る出来事や経験、そういったものに達成感を感じる。


コンテクストは電話だったり、打合せだったり、メールだったりするが、とにかく「あー俺たち一緒に仕事してるぜ!感」といいますか、「相手は自分を人間として見てくれていて、人間としての自分が何がしかの役に立てているという確信」とでも言えましょうか。兎にも角にもそのような感覚が己の達成感を醸成している自分自身を発見したのであります。





知識が増えるのはおもしろいし、楽しいし、嬉しい。それでも僕は、ただ知識が増えるだけではやる気を励起できない。これは自分にとっても新発見だった。


僕は僕自身を知識大好き人間だとおもっていたし、確かに今でも変わらず好きだけど、


自分自身が仕事という文脈上に組み込まれ、いくばくかの価値/プラスの影響を提供できているのだなという確信が持てた瞬間も、同様に幸福感/達成感を感じるのだ。




この小さな発見を僕が僕自身の哲学上に組み込むことを試みるとすれば、


ひとが達成感を感じる源泉はすなわち、自分が"意志ある存在として認められた"ということであり、自分自身の自由意志がそこに含まれるか否か、という1ポイントに集約される。





人は誰でも「労働力」「頭数」「人的資源」としてではなく、人間として価値を認めてもらいたいと考えている。組織内での地位にかかわらず尊敬されたいし、個性や持ち味を評価して欲しいのである。


ブルー・オーシャン戦略 競争のない世界を創造する, p.237)





「自由意志」に基づいた評価を求める会社人は、ただの単純作業であろうとも、可能な限り「俺はここにいる」という事実を知らしめようとする。


この種の仕事のやり方は、純粋な仕事の達成能力がない時期においてはリスクになりうるものの、仕事の「達成感」とそれに繋がる次の「やる気」をもたらす、汎用的な指標(ただし定性的)なのではないかと、今の僕は考えている。





人間意識はアイデア共有のために作られた。これはつまり、人間のユーザーインターフェイスは生物学的にも文化的にも進化で作られたと言うことだ。それは信念や計画を伝え合い、記録を比べるという行動上のイノベーションへの対応として生じたものだ。これは多くの脳を心に変え、そしてこの相互連結が初めて可能にした著者性の分散は、その他自然に対する人間のすさまじい技術的優位性の源であるばかりか、道徳性の源でもある。自由意志と道徳的責任の自然主義的な説明で必要な最後の一歩は、人それぞれに自分自身についての視点を与えるに至ったのが、どのような研究開発の結果だったのかを説明することだ。その視点という場所から、われわれは責任を取るのだ。


このアルキメデス的な場所の名前は、"自己"だ。


(自由は進化する, p.360, 強調引用者)







自由は進化する
自由は進化するダニエル・C・デネット 山形 浩生

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stars自由意志論と進化論のつながりはまだまだ
starsわたしには難しかったっす
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stars確かにトンデモナイ本

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*1:プチだと思っていたら以外と重くてヒーコラ言うのが世の常


*2:専門の人が見たら激怒しそうな理解である


*3:仮想OSのそれぞれにIP割り振ってごにょごにょする方法とか。


*4:我らがsotarokが書いてくれることを期待していたりいなかったり(無茶ぶり)




ジャマイカ記想録(2)--夏とイグアナと初戦敗退




ジャマイカは暑い。ほぼ赤道直下であることを考えると仕方ないが、日本/北アメリカとのギャップが激しいので感覚が狂う。爽やかな朝...とは行かず、いきなり太陽が本気モードで登場し「えっちょま」とか思ってるウチにほとんど日本の真夏を超える強さで照りつけてくる。


日向に出た途端にカンストする紫外線カウンター。


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ちなみに治安が悪いため、あらゆる窓には鉄格子と南京錠。最初はびびったけどだんだんこれが普通に思えてきたのであった。


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この日、西田さんの奥さんに案内して頂いて最初に向かったのはHOPE GARDEN...ちょっとした公園かと思いきや、かなり敷地が広い。気分はTHE・熱帯。


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そして、HOPE GARDENの中にはなぜか動物園がある。そこらへんの山に入ればいくらでも居そうな気がするが、点在する檻の中に(色々と偏った)動物たちがのほほんと暮らしている。


どうもこんにちは


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イグアナ種類居すぎ。関係ないけどイグアナの娘ってドラマが昔好きで見てたな。小学生くらいの時か。


途中でどこからか女の子が合流して、先頭に立って案内し始める。謎である。


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↓ジャマイカンカラーのユニフォーム(?)を着た子供達が爆走している。


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昼飯はベジタリアンレストランでベジボールとやらをいただく。スパイシーでうまい。肉じゃないとすれば、豆腐だろうか。うまいからいいや。


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レストランからの風景がこれまた広大。


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ところで、西田さんの奥さんは、UNIVERSITI OF TECHNOLOGY JAMAICA、通称U-TECで日本語教師をされている。本日は授業があるとのことで、僕も大学の授業に飛び入り参加させてもらった。いいんですか><。職員室は"夏休み中の小学校"のような雰囲気であった。。


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キャンパス内と教室はこんな感じ。


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授業が始まる。こちらの人ってなんか年齢不詳に思える。


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日本語での数の数え方、4が「し」と「よん」の二通りあったりするあたりが、どうも難しいらしい。日本の遊びを紹介するということで、たけのこニョッキ。


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なかなかシュールな光景です。敗者は頭をピコピコハンマーでしばかれたり、デコピンされるなどします。




続いて「たたいてかぶって」トーナメント戦に、満を持して参戦。純日本人の底力を見せてやんよ?


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→初戦敗退


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「...」


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気を取り直して、夜にはブルーマウンテンに車で連れて行っていただきました。ええ、コーヒーのブルマンです。本場です。ちょっと小高い山の上に、小洒落た店が。


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ブルーマウンテンからキングストンの夜景を望み、ブルーマウンテンコーヒーを飲む。肩を寄せ合って夜景を見る白人老夫妻がいて、いいなぁ、と思うなどしていた。


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そして帰宅。現在ジャマイカは水不足で水道から水が出ないため、夜は、貴重な水(たま~にちょろちょろ出てくる)を使って水浴び。案外2,3Lで身体を(ひととおりは)綺麗に出来るもので、いかに普段自分が贅沢に水を使っているか痛感した。不自由を常と思えば不足なし、ってか。誰の言葉だっけ、と調べたら徳川家康だった。





不自由を常と思えば不足なし。心に望みおこらば、困窮したる時を思い出すべし。


堪忍は無事長久の基、怒りこそが敵と知るべし。


(徳川家康)





そんじゃーね。(ちきりん風)




ジャマイカ記想録(1)--機会の稀少性を求めて




彼女がブラジルへ行くのはカポエイラの修行のためだと言った。ブラジルにいる師匠の下で1ヶ月間、泊まり込み合宿をするのだそうだ。僕は合気道部を辞めた後にカポエイラをやるかそれともテコンドーにするか、最後まで迷った挙げ句テコンドーを選択した程度には、カポエイラに憧れがある。足技が好きなのだ。


カポエイラ、ダンスみたいですよね。いやいやもっと深いもんだよ。テコンドーも深いよ。僕は弱いけどね。闘ってみる?...名前も知らないまま別の便に乗り、マイアミに向けダラスを発つ。




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日本からジャマイカへの直通便はなく、アメリカを経由して乗り継ぐ。アメリカを経由すると言うことはすなわち、例のテロ云々以来強化されたTSAやらESTAやらあのへんごにょごにょする必要があり、多少、面倒くさい。


成田からダラスへと太陽と逆行するように短い夜を抜けた後は、カリブの島々との間で便が発着する、マイアミ空港へと移動する。


係員があくびをする。僕にとっての非日常も、彼らにとっては退屈な日常なのだろう。僕の顔を見て「ジャマイカで何やるんだ。ガンジャ(マリファナ)か」と聞いてくる。計3回くらい聞かれた。僕の顔はそんなにトリップ系か。トリップ系男子。




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マイアミからジャマイカの首都、キングストンへ。




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(写真は昼のものだが)


夜22時のキングストン空港は、お国柄かそれとも夜だけなのか、入国審査が適当でのんびりしている。


ジャマイカは90%が黒人(アフリカ系)なので、見渡す限り肌の色は真っ黒だ*1。この中に東洋人の黄色い肌が混じると、それはそれは目立つ。


空調の効いた空港から出て「暑い...!」100%夏の夜だ。西田さんと合流し、ピックアップしてもらう。今日はこれでも冷え込んでいる方らしい。なんてことだ。




初対面で宿をお借りする*2という僕の図々しさをやや後ろめたく感じていたが、実際に会うと体操のお兄さん的(文字通り職業が体操のお兄さんなんだけど)さばさばした人で、僕は一発で好感を持った。




空港から宿となる西田ジムへの道すがら「ジャークチキン」というジャマイカ名物料理を狙う。ジャマイカ人はチキンが好きだ。とりわけ、濃いめのどっしりした味付けが好きらしい。




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ジャークチキンはジャマイカ料理の特徴が顕著だ。「おいしいジャークチキン売ってる所があるんよー」と案内され、向かった先はどこかの駐車場...店に入るかと思いきや、路上でジュージュー鶏肉焼いてる。これはすごい。


注文すると、でっかい包丁でバッコンバッコン鶏肉を分断して、ケチャップ(?)をぶっかけて食パンに挟んでアルミ箔に包んで、ホラヨと渡される。


ワイルドな。




写真を撮らなかったことが悔やまれる。


そして車に戻ろうとすると、勝手に車の窓を掃除している兄ちゃんがいる。汚れた水をボロ布に含ませて、わしわしと拭いている。そして当然の様にお金を要求。


フリーダムな。




圧倒され、テンションも上がりながら、西田さんの奥さんと同時期にジャマイカに来ていた体操仲間のOさんも加えた4人で、ジャークチキンをつっつく。おお。。。おいしい。




どうやら今は深刻な水不足らしく、生活の水にも事欠く始末。


「いい時期に来たねー」




ええ、僕もそう思いますよ(←トラブル好き




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THE 西田ジム。ここをしばらく寝床としてお借りすることになる。




ジャマイカの夜は暑い。しかし蚊が多く、寝るときは長袖を着ないと刺されてしまう。僕は日本だとわりと蚊の好む血らしく、大抵は出血大サービス(文字通り)なのだが、ジャマイカの蚊にはどうも好まれないようであまり刺されなかった。




体操用マットの上で三人が雑魚寝の体制になったとき、僕はようやく、慌ただしく、しかし時差のおかげで間延びした一日を、振り返る時間を得たのだった。






僕がジャマイカに来た理由。 --機会の稀少生




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2010年2月。修士論文発表が終わるやいなや京都に逃亡し、その後ぼくは海外に高飛びをキメた。所詮なぁなぁな日本の大学*3、形式を揃えときゃ修了証書を取り漏らすことなどあるまいと高をくくっての暴挙だった(そしてその判断は正解だった)。海外逃亡の第一段がジャマイカであり、その思考の流れは以下のようなものだった。






  • 就職する前に貯金をはたいて海外行って来よう

  • がんばれば予算的に二回の海外旅行が可能だ*4

  • 正統派の「旅行」としてヨーロッパは確定(行ったことないし)

  • もう一個はどこにしよう

  • アメリカは2回くらい行ったし。

  • 中国はどうせ会社が進出するだろう(楽観

  • 台湾や韓国なんかは、社会人になってからも短期で行ける

  • すると南米かインド、アフリカあたりか...







このへんまで考えていたところ、id:fly-higherid:fly-higherさんに軽い感じで「ジャマイカいいよジャマイカ」と勧められ、なにしろno ideaだったものですぐさま飛びつく。


話を聞いたところ、体操の先輩がジャマイカでジムをやっていて、fly-higherさんはそこでしばらく滞在したことがあるらしい。海が綺麗で、ちょっと(?)治安が悪くて、僕にとっては未知の国。「Hashは適当に生きてるジャマイカンを見て、肩の力を抜けば良いと思う」というような事も言われたり。




もしよければ紹介するよとのお言葉に甘え、知り合うことになったのが(冒頭で既に登場した)西田さん、である。




組長活動報告書


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これほど海が似合う男もなかなか居まい




元は青年海外協力隊の体操教師としてジャマイカで子供達を指導していたが、任期が終わった後もジャマイカに残って子供達を指導しているそう。


ジャマイカ滞在中に、他の青年海外協力隊のメンバーとも交流する機会を得るのであるが、僕が今まで見てきた世界とは別次元、それでいて、一続きで等身大な、若い世代がちゃんとその道で生きている。僕の知らない世界。日本から見ていると視界に入らない、日本人。


いろんな道がある。可能性は無限であり、根源的に、その思考において人間は自由だ。思考を行動に投射することを考えなければ。


。。閑話休題。






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そもそも僕がここに来たのは、僕の行動原理のひとつ「機会の希少性」を考えた結果だった。





若いうちに何も集めようとしなければ、


年をとってから何を見つけられるだろう?


(エルサレム聖書 シラの書 25章3遍)





「機会の稀少性」を重要視する行動原理は、すなわち、おもしろそうでめったになさそうなことにはリスクが高かろうとも速攻飛びつき、今しか出来ないことには割高であっても集中投資を行う方針だ。


だから田舎の大学に進むのではなく東京を目指した わけだし、空手でも柔道でもなく、カポエイラや合気道やテコンドーを選んだわけだし、生物専攻で会計とプログラミングをかじろうとしたわけだし、10数人のベンチャー企業に入ろうという気にもなるのだ。






ぼくはたぶん、平坦を恐れている。


全てをフラットにどうでもいいものだと認識させる、自分の中の"何か"を恐れている。


その"何か"は強い力を持っている。かつて好きだったものや人は、その力の前にどうでもいいものとなって忘れ去られた。





忘れられることはとても恐ろしく、忘れることはもっと恐ろしい。


白鳥のいた町 - ミームの死骸を待ちながら



故に僕は、まかり間違っても平坦になりようのない、アップダウンの激しい道を好む。


どうしようもなくなったときに引き金を弾く自害用の拳銃みたいに、いつでも全部ゼロになる可能性を、自己を護るものとして側に置いておく。ここに来たのも、無茶をしたかったから、という思考はあるのだろう。


それでも、無茶をやり通せない。アップダウンが激しい道を望みながら、いつでもこうして、少なくとも体操マットの上に、自分自身の寝床を確保してしまうのだ。






...ジャマイカの夜は更ける。




*1:訛りが強いものの言語は英語なので


*2:メール&Skypeでの接触のみ


*3:海外の大学に所属した経験はないが


*4:結局インデックスファンドに投資していた資金をほとんど切り崩した




FREEとiPadとBookScan、情報収集四方山話




最近話題のフリービジネス。フリービジネスってなんなのさ。


会社でただ働きに近い作業を「フリービジネス」などと言って笑っているが(笑ってる場合じゃねぇ)、真面目に考えるために件のベストセラーを手に取り読んでみたのは1ヶ月前くらいの話。結論。"FREE"という切り口で以てして古典的な経済学ではカバーできない現象を説明するその手腕が秀逸であるが、記載されている物事はさほど新しくない。




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FREEでは、フリービジネスモデルを4種類に分類している。



そのうちふたつは古くからあるが、進化したもので、残りのふたつはデジタル経済と共に登場したものだ。それらを見ていく前に、四つのフリーを一歩下がってみてみれば、それが同じひとつの事象のさまざまなバリエーションに過ぎないことが分かる -- つまり、商品から商品への、人から人へのお金の移動、現在と将来のあいだでのお金の移動、あるいは非貨幣経済の市場に入ってまた出て行くことだ。経済学者はそれらを「内部相互補助(他の収益でカバーすること)」と呼ぶ。


(p.30)




(1)直接的内部相互補助: Direct cross subsidies


(2)三者間市場: The three-party market


(3)フリーミアム: Freemium


(4)非貨幣市場: Nonmonetary markets





(3)はキャッチーだけどイメージが付きにくい言葉だし、それ以外は訳書のセンスがお堅すぎて漢字だらけだったので、僕はこれを以下のように解釈した。自分用メモの意味も込めて、つらつらとまとめておく*1





(1)宣伝/餌として「フリー」使うよ派


(2)要するに広告モデル。二面性あるよ派


(3)大半無料で一部が払う。割合の問題だよ派


(4)世の中の価値は金銭だけじゃねぇ!派





(1)は無料で何かをばらまいてその周りにある有料の何かを買わせるもので、マーケティング戦略の一種と言えるかも知れない。


(2)は要するにテレビやラジオの広告モデルだ。誰かが金を出して提供したものを、他の誰かが無料で受け取る構図。


(3)の"フリーミアム"とはフレッド・ウィルソンの造語らしい。まるで新しい概念のように思える響きだが、なんのことはない。mixiやニコ動やはてなの有料会員、アレと同じだ。無料で大量に人をかき集め、その一部がお金を払ってくれることを期待する。母数が多ければ多いほど、入ってくるお金が増えることが期待される*2


Vectorや窓の杜でソフトをダウンロードしていた90年代からあるのではないかな。例として劇場に"子供無料日"を設定することにより増える客層から大人分の料金を獲得する、というモデルも紹介されている。(このように、ソフトウェア/Webの範囲を超えて再定義した点がうまいと思う。)


無料ではないにしろ映画のレディースデイも似たようなもので、値引きすることによって、女性客が彼氏か友達を連れてくることを期待している(そして男達はなにか納得できないものを感じながら正規料金で興味のない映画を見る)。




(4)はそれについて書いたとしたら本が一冊出来るテーマであり、おもしろい。しかしフリーのテーマである「無料からいかにしてお金を稼ぐか」からは外れているため、サブ的な扱いだ。




(2)と(3)の違いは、無料客が有料客へ転換する構造をそもそも含んでいるか否かであり、


(1)と(4)の違いは、金銭のやりとりが発生することを期待しているか否かである。






これまたバズワードくさいのだが、"FREE"という概念は経済のリアルな形を示す切り口として秀逸、ではある。だが行動ベースで考えた時、「フリービジネスは...」とか「無料の時代に成功するには...」などという議論が見受けられるが、これは違う、と考えている。


「無料」は切り口に過ぎない。アクションを起こすとき着目すべきは「無料」ではなく、人々の心理だ。


この本が面白いのは、行動経済学が絡んでくる所だ。「無料」は特異点であり、異端であり、トリックスターでもある。人間心理に、巧妙に働きかける。そこが面白い。




行動心理学と言えば有名な本あったなー、と思って探して、まだ読んでなかったので↓を買った。お金はないがAmazonギフト券は山とあるのだ。




予想どおりに不合理―行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」
予想どおりに不合理―行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」熊谷 淳子

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stars「ヤバい経済学」と読み比べてみた

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コンビニ受け取りにしたから仕事で遅くなってもOKなんだぜ。便利な時代だ。






情報の奔流と波乗りのメソッド




4ヶ月前、2月くらいに書いた文章を載せる。この頃は修論に明け暮れて(?)情報収集が疎かになり、その閉じた感覚がさらに気分を沈ませ内向きになる...というエンドレスループが起こっていた。





自分の周囲にしか目がいかなくなっている。こんな時、全部壊したくなるのが悪い癖だ。


現状の幸福、メリット、繋がりを全て断ち切って、まったく別の物事を始めたい、と感じる。停滞したら終わりだ、という危機感がある。かといって、「壊すこと」は停滞を裁ち切るものの、それそのものは進歩ではない、ような気もする。




情報感度が落ちまくっている。Google Readerはもはや読まなくなった。テレビは元々家にない。


Twitterに籠もっている。最近はTwitterもインフラになり、珍しくもなくなった。僕はコミュニティに価値を感じている。蓄積したネットワークに価値がある、と思っている。しかし良い面には悪い面が同席している。価値ある/心地よいネットワークが構築されているということは、裏を返せば世界が閉じてきた、ということになる。そこだけで完結している、面白くない世界だ。


Blip.fm, last.fm, foursquare, friendfeed, Brightkite, flickr, facebook, radiko....こんなのは自然にやらないと意味がない、というのが僕の主義なんだけど、どうも新しいものに飛びつく以前の勢いが失われてきた様に感じる。


はてなブロガーHashは死んだんだよ。


ジャマイカ、イタリア。世界は広い*3。戻ってきて、どういう視点で物事を見るようになるのだろうか。その先には就職が待っている。さてさて。





最近は流石に危機感を感じて日経新聞Web版を契約してみたり(案外使い勝手が良い。特に携帯版)。でもGoogle Readerは再構成中だ。情報が多すぎて破綻して、今は遺跡状態になっている。これを再構築するのは、なかなか興味深い作業だ。


現在ぼくは仕事で「情報に翻弄されている(上司談)」ようなので、何かここにヒントがないかと思って、指に考えさせてみるとする。思考筆記、というやつだ。昔20分間筆記をやって案外面白かったのを思い出す。


あたらしいものと言えば、iPad。「新しいもの」がいろんな文脈で登場するこの社会。みんな、新しくありたい、と思っているのだろう。それはそれで面白い価値観かもしれない。


iPad、触ってみた。サクサク度合いが半端ない。Sでない3GのiPhoneとは比べものにならない。予想以上に大画面で快適だ。


しかしやはり僕は使い所がイメージ付かない。なくてはならないもの、というレベルまでは浸透しない様な気がするのだ。あの微妙に持ち運びしにくいサイズ。少なくとも僕にはイメージできない。


電子書籍の波を狙うには、少々早すぎる。


いや、早すぎるくらいでちょうど良いのか。




電子書籍と言えば、書籍のスキャンサービスが日本でも出て来た。





ほぼ無料と言っていいほどの低価格。どうやって稼いでるのかねぇ。


と思ったら、中身は純粋な肉体労働・単純作業・人海戦術。


あえて泥臭い部分を請け負うことで、新しいものを支える。僕には彼らが「サヤ取り」をしているように思える。先端を切り取って、マジョリティに投げ渡す。


普通の人はやらない「サヤ取り」を、あえて、率先してやる人は、新たな世界を拓く可能性にカケている。地図に画期的な意味を与えたGoogle StreetViewの裏には、地道なGoogle Carによる絨毯爆撃的撮影作業があったように。






スキャンに戻ると、僕自身は「スキャンは自分で行うが、裁断機は所有していない」半自炊派*4だ。大学生&院生時代に溜まった教科書類は、研究棟に置いてあった裁断機を利用してザクザク分解し、自宅のscansnapでPDF化してHDDに眠っている。まぁ、今のところ生物学やら有機化学の教科書を紐解く機会には出会っていない。


それにしてもTLで話題になっていたから思い出してパラパラ読んでみたけど、化学の新研究は神参考書ですね




化学I・IIの新研究―理系大学受験
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starsこれはおすすめです
stars受験化学の辞書としては最高の一冊
stars今までの参考書の中でかなりいいかも。
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そして脈絡もなく終わる記事。




*1:つらつらとまとめる、とはおかしな日本語だ


*2:有料会員の割合を増やすのと無料会員をかき集めてくるのではどちらが効率がよいのかを調べた研究があった様な。なんだっけ


*3:どうも旅行前だったようですね。今あまり時間ないことだし、ひたすらジャマイカやらイタリアの写真を載せる記事も書きましょうかね。そのうちね。


*4:意味: 業界用語(?)で、自宅で本を裁断&スキャンすることを自炊と呼ぶらしいが、個人的にはセンスの欠片もないと思う。




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